うんと幸せ、
この曲は私から両親への最後の手紙です。

「ありがとう」と「ごめんなさい」は
出し惜しみをしないで欲しい、というのが
これまでの私の強い思いでした。
私は、”もらい泣き”以降
両親にこのふたつの言葉を届けたくて
歌っていたような気がします。

けれどもこれからは
今、生きている人たちに歌を伝えたい
と思い、この詩を書きました。

つい先日、
知人が若くして自ら命を絶ちました。
私は己の無力さを思い知ると同時に、
自分にはどんな言葉が歌えるのだろうかと
考え続けてきました。

私たちは生きるという行為そのものに
意味を追い求めたくなるものですが
ときに人はその意味に価値をつけて
”幸せ”と呼びます。

日常というものは
幸せを簡単に飲み込んでしまう
不思議かつ残酷なものです。

螺旋状に負の感情に陥ると
生きることをあきらめたくなる瞬間があります。

だけど、”幸せ”になるために生きるのではなく
幸せ、そのいちいちに気づくことが
生きることだと思うのです。

うんと幸せな気持ちは
わたしが幼き頃も
恋をしたときも
いつもそこにあるものでした。
また、両親をなくしたときも。

みなさんがこの曲を聴いて
幸せの欠片に気づいてくれたら
それこそわたしは
うんと幸せです。

一青窈

うんと幸せ

あなたがうんと言わなくて あたしはうんと悲しくて
時間だけがどんどん過ぎてゆく
泣いたら届くかな
あなたをうんと知りたくて あたしはなんも出来なくて
いつの時代も好きな人がいる
それを幸せという  風邪をひいてはじめて知る 
心配をしてくれる人 
独り言の多いあなた まだまだあるよ

あなたをうんと好きすぎて あたしはうんと切なくて
下らない景色にも涙する
それを幸せという
子ども時代 
先生にはちゃんと見破られてたこと 
妬んでばかりいた自分に 手を 手を振るよ

何がしたいかわからなくなっても
ボレロのようにこの胸が あなたと一緒に踊って
わがままでも抱き寄せてくれたら
嘘みたい幸せ
あなたがうんと歳とって あたしはうんとしわくちゃで
2人の日がどんどん刻まれて
フィナーレが近づく
木の葉のようにさらわれて
ばらばらに落ちていっても
同じ土に還るまでのすべて
それを幸せという
うんとしあわせな日々よ